健やかな目
ルカ11:34
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
目は心の窓と言われます。目を見れば、その人の心の真相がわかるという意味です。
聖書にも目について、このように書かれているところがあります、「からだのあかりは目です。あなたの目が健やかなら全身も明るくなりますが、目が悪いと、からだも暗くなります」。イエス・キリストが語られた例え話の一節です。ここで言われている“目が健やか“、“目が悪い“、また、“全身が明るい“、“からだが暗い“とは、どういうことでしょうか。これは、もちろん、視力が良い悪いとか、体が健康病弱とか、そのような意味ではありません。これは、心について、もっと言うならば、魂について言われているのです。私たち人間は、本来、神のかたちに創造された存在でした。神様に向かってまっすぐ目を注ぎ、神様の光によって明るく、全身全霊で神様の前を生きることのできる存在でした。しかし、罪が入り込み、神様と私たちとの関係は断絶してしまいました。私たちの目は閉ざされ、私たちはからだの暗い者、滅びの運命が定められた者となってしまったのです。そんな私たちの目を健やかにするために、からだを明るくするために、神様のもとからキリストが遣わされてこられました。キリストは、十字架にかかって死に、死を打ち破ってよみがえってくださいました。キリストの十字架と復活を信じる者は誰でも、罪の赦しと滅びからの救いをいただき、健やかな目をもって神様の前を歩むことができます。
聖書の他のところに、このような場面が出てきます。ある生まれつき目の見えない人が、道ばたで物乞いをしていました。キリストがそんな彼と出会い、彼の目を癒してくださいました。彼は目が開かれ、見えるようになりました。しかし、それだけに留まらず、彼はキリストを救い主として信じ、自分の身に起きた奇跡を大胆に証言するようになりました。周囲の人々はそんな彼を馬鹿にし、つまはじきにするのですが、彼の芽生えた信仰はますます深くなっていきました。彼は、肉体の目だけでなく、魂の目も開かれたのです。キリストによって、真の意味で目を健やかにしていただいたのです。
キリストは、私たちにも健やかな目を与えてくださいます。キリストの十字架と復活を信じる者は誰でも、与えていただくことのできる目です。あなたもこの健やかな目を与えていただき、神様にはっきりと目を注ぎながら、明るく生きていく者となりませんか。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日9時半からと11時から、礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。