後の雨のように
ホセア6:3
こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。
先日14日に、気象台が近畿・東海・北陸・中国地方の梅雨入りを宣言しました。教会で行っているデイサービスのご利用者に、この話題を持ちかけ、「雨は嫌ですね」とお話ししたところ、「でも、水やりをしなくてもいいので助かりますよ」とのお返事でした。思わず「なるほど」と、心の声が口に出ました。足元の悪くなる雨、洗濯物が外に干せなくなる困り物の雨ですが、草花にとっては恵みの雨、草花を育てておられる方にとっても、ありがたい雨なのだと気がつきました。
聖書にこのように書かれているところがあります、「私たちは知ろう。 主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように」。聖書の舞台、イスラエルの気候は、日本と違って、雨季と乾季に分かれます。農作物を育てる人は、まず、雨季の訪れを告げる「初めの雨」によって柔らかくなった地面に種を撒き、その後、乾季の訪れを告げる「後の雨」によって一気に実る実を収穫していたそうです。ですから、「後の雨」は豊かな収穫の約束、祝福の約束を意味していました。必ずやってくる「暁」や「後の雨」のように、神様は私たちに必ず祝福を与えてくださるお方です。
祝福といっても、お金持ちになるとか、仕事が成功するといったことではありません。自分の夢がかなうとか、欲しかったものが手に入るということでもありません。本当の祝福は、神様を知ることです。神様を知り、神様の与えてくださる喜びと平安と確信の中を生きていくことです。私たちは、神様を知らない者たちでした。罪のために魂の目が閉ざされ、神様から遠く離れ、そのままでは滅んでしまう存在でした。しかし、神様から遣わされたイエス・キリストが私たちのところに来てくださいました。私たちに神様のことを知らせるためです。キリストは十字架にかかって死に、死を打ち破って復活してくださいました。このキリストの十字架と復活を信じた者は誰でも、罪を赦され、滅びから救われます。閉ざされていた魂の目は開かれ、神様を知ることのできる者となります。
「後の雨」が必ず降るように、キリストの救いをいただいた者には、神様を知るという祝福が必ず与えられます。あなたもぜひ、この救いをいただいて、祝福を受け取っていただきたいと思います。
教会では、新型コロナウイルス感染防止に努めながら、毎週日曜日9時半からと11時から、礼拝を行っています。あなたのおいでをお待ちしています。