キリスト教と私

教会員によるキリスト教との出会いの体験談

教会に来られている方々が、どのようにしてキリストに出会い、
どのようにして新しい人生を送るようになったのか、体験談をご紹介します。

2021.07.18

「神様に道をお委ねして」石田 望実

聞き手:今回は、年齢がグッと若くなって、石田望実さんです。石田さんは2019年6月に結婚され、イスラエルのガイドを目指しておられたご主人と一緒に、イスラエルに移住されました。この度、イスラエルから証しを送っていただきました。インタビューはインターネットを通して行いました。
石田さん、イスラエルでの生活はもう慣れましたか?
石田姉:はい、衣食住にも言葉にも、だいぶ慣れてきました。
聞き手:昨年、ご長男が与えられたんですよね。確か名前は「志音(しおん)」ちゃん。
石田姉:はい、「シオン」というのはエルサレムの愛称で、それに「イエス様の福音を仕えていく志をもった人になってほしい」という願いを込めて、この漢字を当てました。
聞き手:元気に育っていかれるようお祈りしています。これからの希望は何ですか。
石田姉:夫がイスラエルのガイドの資格を取ったら、私も頑張って資格を取得し、日本人がたくさん来られるイスラエルの地で、神様の恵みを証ししていきたいと願っています。育児と両立させながらで、ちょっと大変ですが。
聞き手:頑張ってください。ご一家の上に神様の祝福が豊かにありますようお祈りします。では、お証しをどうぞ。

神様に道をお委ねして

私は生まれた時から母に連れられ、姉兄と一緒に宝塚栄光教会の礼拝に通っていました。同世代の子どもがたくさんいたので、平日も毎日のように教会で時間を過ごしていました。教会は私にとって第二の家であり、学校のような場所でした。

私が洗礼を受けたのは、小学5年生のときです。サマーキャンプのメッセージで、自分が傲慢で自己中心的な人間だということに気づきました。10歳の時で、まだはっきりとは分からなかったですが、今の自分は、わがままで自分勝手で、神様に喜ばれるような人間ではないと分かりました。しかし、神様はそんな私でさえも愛してくださいました。神様は、どんな人間でもひとりひとりが尊いと仰ってくださるのです。私は、自分の罪を神様の前に悔い改め、イエス様の十字架を信じて、罪の赦しをいただきました。そして、その年のクリスマス礼拝で洗礼を受けました。

それから10年経ち、大人になるにつれて、自分の欲を優先したり、忙しさを理由にして、神様から離れることが増えていきました。大学を卒業し就職すると、毎週の礼拝にも出られず、ただせわしく時間が過ぎていきました。そんなとき、自分では予期しなかった大きな出来事が起こりました。それはクリスチャンの人と結婚し、イスラエルへ行くことでした。

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)この聖書のみ言葉が、私の目に飛び込んできました。これは神様の計画だ!何か自分に与えられた働きがそこにあるんだ!と感じました。そして退職を決め、夫と共にイスラエルへ移住しました。

聖書の舞台であるイスラエルの地を歩くことは、子どもの頃から読んで聴いていた聖書の話を、一気に映像化するような経験でした。ヴィア・ドロローサを歩いた時、私の罪の為にイエス・キリストが苦しみを受けて、十字架に付けられたことが、今まで以上に自分の心に突き刺さってきました。イエス・キリストは本当におられて、私の為に命を献げられたんだ!同じ道を自分が歩いているんだ!と思うと、感動と喜びで鳥肌が立ちました。私は、イエス様の十字架の重みを強く感じて、起こされた神様の救いの御業に心から感謝しました。

神様は、自分の力だけでは起こせないような出来事を起こされ、私たちに気づかせます。私がどんなに厳しくて悲しいような中にあっても、たとえ神様に喜ばれないような人間でいても、見守っていてくださる不変的なお方です。

「自分には大きなことを成し遂げられない」「自分にはなんの価値もない」と弱音を吐くこともありましたが、どんなに小さなことでも、神様のために出来るなら、こんなに嬉しいことはないと、今は思います。これから私の人生にどんなことが起きようと、神様がそばにいてくださいます。全てを委ねて、信頼して祈り求めていきたいです。