あなたの罪は赦された
マルコ2:1-12
イエスのもとに来て、虚しく帰った人はいない。ここに登場する人物も、イエスからすばらしい祝福をいただいた。
彼は中風という病を患い、つらい闘病生活を送っていた。しかし、彼の友人は、イエスの噂を聞いて、彼をイエスのもとに連れて来た。群衆のためにイエスに近づけないと知って、彼らは屋上に上がり、屋根をはがして穴をあけ、イエスの前に病人をつり下ろすという大胆な行動に出た。
彼らは、どうしても今日、彼を主のもとへ連れて行きたいと願い、あとは主が癒してくださると信じたのだ。イエスは彼らの信仰を見て、病人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。この言葉は人々を驚かせた。
人々が驚いた理由の第一は、それは神を汚す言葉に思えたからだ。律法学者たちは心の中でイエスを批判したが、主はその心を見抜かれた。主の前に隠れているものは何もない(詩139:1-4)。
イエスこそ罪を赦す権威を持っておられるお方だ。それは、主は神から遣わされた神の子だからであり、さらには、十字架にかかってくださったからだ。罪なき神の子イエスは、私たちの身代わりに十字架にかかられた。私たちが罪を悔い改め、十字架を信じれば、すべての罪が赦される。
彼らの驚きの第二の理由は、その病人は病の癒しを求めてきたのに、イエスは彼に罪の赦しを言い渡されたからだ。イエスは、彼の悩みの根源をご存じだった。彼を不幸にしているのは、体の病気ではなく、魂の病、つまり罪だということを知っておられたのだ。罪の問題から死の問題が生じる(ヘブ9:27)。人はみな死を恐れる。罪が解決していないからだ。罪と死は人間の本質的な問題だ。イエスはこれに解決を与えられた。
十字架により罪が赦されたら、神の前に立つことができる。永遠の命が与えられて、天国の希望が与えられる。この病人は、その救いをイエスからいただいたのだ。病が癒されて万事解決なのではなく、罪の赦しをいただいて真の解決が得られる。
私たちはみな平安を求めている。彼が求めていたのも平安であり、それを罪が赦されてイエスからいただいた。真の平安は罪の問題の解決から来る(マタ11:28)。
あなたは罪と死の問題に解決がついているか。“自分には罪などない”とは言えない(1ヨハ1:8)。罪のない人間は誰もいない(ロマ3:10、3:23)。だからイエスが十字架についてくださったのだ。罪の悔い改めと、十字架を信じる信仰によって、どんな人でも罪の赦しが与えられる。
イエスがもたらしてくださったのは、罪の赦しの福音だ。福音とは良い知らせだ。信じれば誰でも救われる(ロマ3:24)。だから福音だ。イエスは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。」(17節)と言われた。まず自分が魂の病人であることを認めよう。次に、悔い改めと信仰をもって医者であるイエスのもとへ行こう。真の医者イエスは、私たちを癒すためにこの世に来られ、十字架にかかられた。医者にかかるとき、医者に全面的に信頼するように、イエスを信じることが大切だ。
今、罪が赦されたという確信をいただこう。天国の希望をいただこう。真の平安をいただこう。真の救いを与える権威をお持ちのイエスのもとへ行こうではないか。大事なことは主を信じることだ(ヘブ11:6、ヨハ14:1)。